Sunday, December 27, 2009

Timbuk2というつぶやきを聞いて

Twitterで「Timbuk2が欲しい。」というつぶやきを聞いて、おいおい今でもTimbuktuなんて存在しているのかよ?と思いながら、Tuは2なのだが何気なくスペルが違うことが気になりググってみた。
何と、「メッセンジャーバッグ TIMBUK2 (ティンバックツー)」という文字が真っ先に出てくるではないか。
クリックしてみるとそこはTIMBUK2オンラインショップ。
カメラインナー付きメッセンジャーバッグは2010年度デジタルカメラグランプリ カメラバッグ(ショルダー)部門で金賞を受賞したと言う。
これは良いやと、思わずそのまま購入してしまった。
SONY純正のメッセンジャーバッグ型よりは高いが、もっとカジュアルイメージで使いやすそうだ。
だいたいカメラを収めたインナーボックスをそのまま外せば、普段でも使えるというのが良いね。
今空いているジュラルミンのバッグではいかにもで使いたくないし、またThe North Faceのヒップバッグもイマイチ使いにくくて、良いカメラバッグを探していたいたところでもあった。
さすがにMacユーザーは、Timbuk2などと書かれると、単純にTimbuktu(ティンブクツー)の事だと思ってしまうんだね。

さて、遠隔操作ソフトTimbuktuは、Apple Remote Desktopが出てからはとうに役目を終えたのかなと思い、こちらもググってみる。
いやいや今でも存在するどころか、すでにWindowsとのマルチプラットフォームになっているんだね。
私がMacを使い始めた1990年、漢字Talk6のシステム上で既にTimbuktuはDesk Accessoryという形式で存在していた。
Gigabitの現在、昔のLocalTalk上での使い心地など想像するにたかが知れるが、それでもこんなことが出来るのだとびっくりさせてくれるソフトだった。

しかし何故Timbuk2がティンバックツーなんだ?ティンブクツーで良いんじゃないの?
どうも聞き慣れない言葉だから、日本ではわざと製品のバッグに掛けて分り易くティンバックとしたのでは、と言うような気もする。
日本では、バッグもバックも区別ないからねぇ。
ファラオン社がTimbuktuを開発したのが80年代の末、Timbuk2は今年で20周年と言うから、おそらく同時期とはいうもののファラオン社のTimbuktuの方が僅かに早かったんだろうね。
そもそもTimbuktuはサハラ砂漠の歴史上の都市名だ。これに由来してかなり遠くにある場所を意味すると言う。ファラオン社がネットワークを通じて他のMacをコントロールするソフトにこの名前を与えたのにはかなりの意味があったと思える。
私は歴史に従い、このバッグもティンバックツーとは言わず、今後もティンブクツーと発音することにしよう。
 

Sunday, November 29, 2009

Ann Burton、没後20年

Ann Burtonの歌を最初に聴いたのは、同期で入社した奴が私に聴いて欲しいと置いていったカセットテープでだった。
そいつは根っからのジャズファンで、ブルース/ロックファンの私とでは聴いている音楽のジャンルは違えど、お互いオーディオファンということもあり、頼めばブルースもかけてくれるジャズ喫茶で仕事帰りに酒を飲んだものだった。
その彼が家業を継ぐために故郷に戻る事になり、私に聴いてくれと置いて行ったのだった。

そのカセットテープに録音されていたのが、このBlue Burtonだった。私はこれを聴いて直ぐに彼女の歌の虜になった。
最後の1曲がSanny、かつてCherが歌って一世を風靡したポップチューンなのだが、最初からこの最後の1曲まで、英語がネイティブではないヨーロッパ人の英語はわれわれ日本人でも聴き取り易く、全ての曲の一言一言が心に沁みてくるようであった。

もう音質の良くないカセットテープでなんか聴いてはいられない、直ぐにレコード店に走った事は言うまでもない。
ジャケットを見ながら、いやーぁ、おばさんやなと思いながらも、このBlue BurtonとBallads & Burtonを買った。以来この2枚は、私の中でジャズボーカルの名盤として存在している。
Cherが歌った曲はもう1曲、Bang BangがBallads & Burtonに収録されている。以後CarpentersやCarole King等、その時のポップなヒット曲を自家籠中に歌いこなすなど、選曲の妙が伺えたものだ。

その後、Ann Burtonのレコードはほとんど買ったが、CDで買い直したのはこのBlue BurtonとBallads & Burtonだけである。
彼女は日本人の侘び・寂びに通じるような感情の表現をするためか日本のジャズファンには人気が高く、そのせいか彼女自身も日本贔屓だったため、何度も来日してレコーディングを行った。70年代末のダイレクトカッティングが流行った頃、ボーカルでダイレクトカッティングを行った事にもびっくりしたものだった。

さて、しっとりとしたバラードで人気を得たAnn Burtonだったが、実は小粋にスイングする歌い方も得意としていたのだ。
上記2枚の他にお勧めしたいレコードといえば、やはり六本木のミスティでのライブだろうか。今となっては伝説とも言えるジャズクラブでのライブは、残念ながら実際に聴いた訳ではないのだが、在りし日のミスティを知っている人間にとってはレコードを聴けば容易にそのライブの様子が想像できる。
ここでは初期の2枚のレコードにはない乗りが感じられるだろう。

Ann Burton、本名Johanna Rafalowicz。俳優Richard Burtonが好きでこの芸名を使っていたと言う。1989年11月29日、故郷アムステルダムにて没す。
私にとっては初めて女性ジャズボーカルの魅力を教えてくれたシンガーだった。
 

Thursday, November 19, 2009

Beaujolais Nouveau

今年のヌーボーはかなり出来が良いということを11月の初めには輸入代理店の営業に聞いていた。
だが、半ダースを予約して解禁日の前日に届けてもらうような真似は去年までの話。もう解禁日だからって馬鹿飲みはできない。予約の話は断った。
だが何十年も続けて飲んでいたヌーボーを止める事はない。会社からの帰りがけに、ひっそりと1本だけコンビニで買った。

つまみはカチョカバロを薄切りにして、フライパンで焼いたもの。それに黒胡椒をちょっとかけてみる。
妻が一口だけ飲み、残りは私が飲んでしまった。
確かに今年のヌーボーは酸味がさほどキツくなく、柔らかでフレッシュな味わいだ。だが6年前の当たり年はどうだった?もっとボディが厚く、とてもヌーボーとは思えないような味わいだったことを思い出す。今年のヌーボーは、私の中では2003年の次くらいに位置しそうだ。

ところで今年のヌーボーは一般的にはどんな評価なのだろう?
史上最高の当たり年などと言っているのではないだろうな。
これは絶対に自分の味覚、記憶を信じるしかないね。
 

Thursday, November 5, 2009

クールでグラマラス

最近のお気に入りがこの酒、奥播磨純米吟醸芳醇超辛口赤ラベル。
ご近所の酒屋さんの冷蔵ケースの中で、最近一際目立っていた酒だ。
超辛口というだけあって日本酒度は+9度。だが、どっしりとしたボディを持ち、決して辛いだけの酒ではなく、飲みごたえがあり、尚かつキレがあるという印象だ。
クールでグラマラスな女性のイメージだね。
ひょっとしたらこの感じはぬる燗にしても意外といけるのかも知れない。
いずれ試してみるとしよう。

さて、秋も深まり日本酒が恋しくなった季節は、女性ボーカルにもうつつを抜かしている。
今Macで聴いているのは、Ella Fitzgerald。
Ella Fitzgerald & Joe Pass - Sophisticated Lady、1983年の東京でのライブ。
Joe Passのギター1本の歌伴というのもなかなかいいね〜。ほんと職人技というのはこれだよ。
EllaもOpera Houseとか、in Berlinなんかも良いが、晩年のJoe Passとのコラボも本当に良い。

さて、Ellaの名前と歌を初めて耳にしたのは、映画「恋人達の場所 A Place for Lovers」(監督:Vittorio De Sica)の主題歌でだった。映画が1968年だったから、日本での公開は1969年だったか、そんなもんだった。
普通なら席を立って退出する映画ラストのエンドロール、そのバックで滔々と流れる主題歌にじっと座ったまま聞き惚れた。
映画の粗筋も、主題歌もとうに忘れてしまっているが、映画の名前とEllaが歌っていたことはずっと覚えていたのだね。
(今度この曲を探してみよう。)

その10年後には、本格的にジャズボーカルを聴き始め、EllaとSarah VaughanはMy Favorite Singerという訳。
私にとってジャズボーカルと言えば永遠にこの二人なのでしょうね。
Sarah Vaughanについてはいずれ。



YouTubeで見つけた「恋人達の場所」オープニングシーン
もちろんEllaの歌も・・・
(11/8追記)

 

Sunday, October 4, 2009

ネットワークがおかしかったのは

ネットワークがおかしいことに気が付いたのは8月の末のことだった。偶に使用しているファイルサーバの転送速度が従来の10分の1しか出ていないので、ありゃと思った。ひょっとしたらサーバ側で一時的に帯域制限しているのかなとも考え、しばらく様子を見ていた。
しかし、9月になっても転送速度が好転することもなく、MacOSのバージョンアップ対応に追われていたが、10月になってようやく原因に思い当たった。
単にルータが壊れていたのだね。それでも10BASE-T程度の速度は出ていたので、まさかルータが逝ってしまっていたとは思わなかったのだ。
それが判明したのは、原因追及のためにルータにログインしようとしてできなかった事による。ID・パスワードを間違えたのかと試行錯誤したが、どうやってもログインできず、数日後デフォルトのID・パスワードを変更していない事を思い出し、単純にルータが壊れたということに結論付けた。

今日、新しいルータを購入して古いルータと入れ替えた所、ようやくネットワークの速度が戻った次第。どうせならネットワークに繋がらないというように完全に壊れてくれたのなら直ぐに対策がとれたのに、なまじっか使えていたためにネットワークの復帰に1ヶ月以上もかかってしまった。
購入したルーターはCOREGA BARFX3。それまで使っていたのがCOREGA BAR Pro2だったので順当なところだろう。ただサイズがずいぶん小さくなり、重量も軽くなってしまったために、背面に繋がっているケーブルのおかげで不安定な事極まりない。
価格は4,880円なり。
 

Monday, September 14, 2009

Aperture 2

MacのOSをSnow Leopardにしたのを機に以前から気になっていた画像管理・編集ソフトApertureを使い始めた。
画像のレタッチ等については、元々私自身はv2.5からのPhotoshop使いなので、同じAdobeのLight Roomの方が判りやすいのかも知れない。
また、写真をRawデータで撮影している訳ではないので、絶対に必要なソフトと言うことでもないような気もする。

少し試し撮りをしてインポートとレタッチをしてみたが、意外と簡単に使えるようだし、Photoshopの画像調整とはまた違った方法なので、面白いと言えば面白い。
取り敢えずは今迄使っていたiPhotoからは画像をインポートしないでおいた。
試し撮りはベランダに咲いている花なのだが、名前も知らないし、花を撮るのが趣味な訳でもない。
単に身近にあったもので試しているに過ぎない。

MacOS 8から9の頃は、レタッチは当然Photoshop、管理はCanto Cumulusの組み合わせを使っていた。
MacOS Xになってからは一時Extensis Portfolioとの組み合わせだった。
その後はバージョンのアップデートも疎かになり、いつの間にかiPhotoに変わってしまっていたのだ。

そのiPhotoの上位ソフトと思われるApertureなのだから、簡単に使わせてもらわないと困る訳だが、マニュアルを読まないで使いこなすというのもいずれ限界が出て来るだろうね。
だいたいそもそもの用語が特殊だ。
取り敢えずは何とか使えるし、少しづつその機能性と操作方法を試して行けば、撮影枚数が増えるに従ってマスターできるだろう。
まぁ、近いうちにRAW現像も試してみるとするか。
 

Monday, August 31, 2009

雪豹現る

Macの最新OS、MacOS 10.6 Snow Leopardが8月28日に発売になったので、さっそく購入してインストールした。

前バージョンのLeopardはOSを買って用意していたものの、メインのシステムにインストールそびれてしまい、結局の所外付けHDDにインストールしておいて、メインシステムのTigarに不都合が起こった際にたった一度だけ外付けHDDからブートして修繕に使ったという履歴しかない。

今回は買ったその日に問答無用で上書きインストールしてしまった。
思いがけずSnow Leopardのアップグレードディスクだけで、途中でLeopardのインストールディスクやシステムそのものを確認されないまま、一挙に2階級特進してしまったという訳。

アップルの言っているTigarユーザーはBoxセットを買ってねというのは、物理的な問題ではなく、単にライセンスだけの問題を言っていたのね。

上書きインストールで特に問題は発生せず、フォルダのアイコンが変わったなといった印象程度で、Tigarからでも結構地味なアップグレードのようだ。
しかし、DVDが奇麗になったとか、いずれじわじわとSnow Leopardの利点が感じられるようになるのかもしれない。
それまで暫くは、壁紙はこのままだな。
 

Wednesday, August 19, 2009

Les Paulのことなど

Les Paul氏死去の話を聞いたのは、お盆入り間もなくの8月14日、某巨大掲示板のレスポール関連のスレだった。
日本の新聞に載ったのは翌日だったはずだ。

実は私はエレクトリックギターとしてのLes Paulは好きだったが、ギタリストとしてのLes Paul氏の音楽を未だかつて聴いた事はない。

Lester William Polsfuss、通称Les Paul。ギブソン初のソリッドギターLes Paulの生みの親。おそらく彼と、Eric Claptonが居なかったとしたらロックのサウンドは今とは違っていたものになっていたのかもしれない。

なぜ私がギターとしてのLes Paulが好きだったのか? それは1にも2にも、Bluesbreakers時代のEric ClaptonがLes Paulを使っていたという理由の他には何もない。ここでClaptonはLes Paulに搭載されていたPAFと、Marshall 1962との組み合わせでロックサウンドの原型を作り出したのだ。
CreamからBluesbreakersへと逆にEric Claptonを聴いていった二十歳そこそこの私は、若きClaptonのブルースに取り組む姿勢、サウンドにすっかり魅入られてしまったという訳であった。

その当時(といっても70年代初めの話だが)、日本のプロでGibsonのLes Paulを使っているミュージシャンはいなかった。せいぜいGRECOの別注でGibsonのPUを装着したものが関の山といったところで、本物のLes Paulは雑誌やレコード・ジャケットの写真でしかお目にかかれなかった代物だった。
その写真を基に製造されてしまったのが、GRECOのEG-360。[写真右]
本物を知らない我々は、こんなのを使って悦に入っていたのだ。アーチドトップの曲面が違う、内部は空洞、ボルトオンネック、そしてあっと驚くハンバッカーもどきのシングルコイルPU。
今ではとっくにレアアイテムなんだろうが音は出る。すっかり磁力が落ちて低域が出なくなったPUは交換、ギア比が12:1でとっても使いにくかったペグも交換。これでVibro Champが復活してくれれば、昔懐かしいサウンドが出せるんだろうか。

今でこそ、GibsonのLes Paulは流通的にも、価格的にも直ぐに手に入るものになってしまった。昔、若い頃にLes Paulが買えなくて、ようやくいい歳になってLes Paulを手に入れた親爺は沢山いるのでしょうね。私もその一人な訳だが・・・

さて、Les Paul氏の冥福を祈って合掌。
 

Wednesday, June 24, 2009

三文ゴシップ

今日椎名林檎のニューアルバムがリリースされた。このニューアルバム「三文ゴシップ」は結構な前評判で、さっそく聴いてみた。
椎名林檎に対して、私はそんなに熱心なファンではないが、「絶頂集」「唄ひ手冥利~其ノ壱~」「加爾基 精液 栗ノ花」、東京事変 「 大人 (アダルト)」程度のアルバムは持っている。
彼女の魅力はゴージャスさと毒気かな。このバランスが非常に良いなと思っている。

さて、パソコンを弄りながらBGMとして聴いてみたが、林檎節というか相変わらずのゴージャスさと毒気は感じられるものの、その毒気が薄められているような気がした。
曲によって多彩なアレンジが施されているのがその原因のひとつであり、ビッグバンド風になると中途半端は止めろとでも言いたくなる。もっとロック寄りで良かったのにね。
CDジャケットのアートワークから感じられるのはまず彼女の素直さなのだが、アルバムの全体的なイメージとしては、あれやこれや雑多な衣服を身に着けているのではないか。
もうちょっとストレートアヘッドな林檎が聴きたいな。

ところで、全編肌色の写真のオンパレードだが、SGまで肌色に塗りつぶすというのはどんな意味があるの。
 

Monday, June 15, 2009

Wes Montgomeryのこと

ジャズギターと言えばWes Montgomeryだが、好きで良く聴くアルバムはと言うと 、私はSolitudeを真っ先に挙げる。
再発のLPで1枚1,500円、Vol.1と2に分売されたものだ。
一般に名盤と言われるFull HouseやThe Incredible Jazz Guitarを差し押さえて、何故かこの1965年パリでのモノラル録音を好んで聴いていた。
特に3面目のHere's That Rainy Day〜'Round Midnightがお気に入りだった。
どうやったらこんな風に弾けるのか? 皆目見当が着かず、ただただ驚嘆するのみのギターだった。
ギターを弾く限りにおいては、ジャズをやっていなくてもオクターブ奏法を少し位は試してみるものだが、とてもじゃないが左手が付いて行ける訳がない。
お気楽にブルースなんぞを齧っていた20代の若造に簡単に手に負えるものではなかったのだね。ジャズのコード奏法は比較的簡単にやっていたのだが・・・
以来ジャズギターをやってみよう等と思ったことはない。

さて、今CDでSolitudeを探した所、既にこれは発売されていないのだね。
良く良く調べて行って判ったのは、現在はComplete Live in Paris 1965というタイトルで出ているものがあるということ。また、Live In Paris 1965という別なCDと併せるとパリのライブの全容が判るということだ。
Wesの1965年のライブは、他にWinton KellyとのSmokin' At The Half Noteや、Live in Hamburg 1965を手に入れてみようと思っている。

 

Wednesday, June 10, 2009

エスカレータは丘を越えて

Carla BleyはAnnette Peacockの前のPaul Bley夫人な訳だが、最初に聴いた彼女の音楽はEscalator Over The Hillだった。
Linda Ronstadtや、Jack Bruce、John McLaughlin等がクレジットされていたので聴いてみる気になったのだと思う。
当時は3枚組のLPで箱に入っていた。
ぶっ通しで聴いて2時間あまり。部分的に聴くのを良しとしなかったために、たまの休日にしか聴かなかった。
LP片面を5回ひっくり返す訳だが、なかなかの苦行。おかげでこれまでに10回もまともに聴いたのだろうか?
そのため黄金の化粧箱は、今でも奇麗なままで残っている。

昨夜、何と25年ぶり位で聴いてみた。
今聴いても真っ先に感じるのは、全体的にはほの暗い気分が漂っていること。だからこそその暗さの中から響いて来るLinda Ronstadtの歌声は、あたかも天使のそれのようだった。
当時私はどのように感じていたのだろう?
この音楽が録音された1970年前後と言えば、ベトナム戦争の泥沼、オルタモントの悲劇、カルチェラタン、ジミヘン、ジャニス、全学連、岡林信康、What's Going On、ランダムに思い出してみても世の中がそこまで暗かったかな?というような気もするが・・・

さて、Carlaの音楽というのは、Annette Peacockとはまったく反対のように思える。Annetteが情念の音楽ならば、Carlaのそれは理性の音楽とでも言えるだろうか。
Annetteはあくまでも個人の音楽を自ら表現するパフォーマーなのだが、Carlaは自らの音楽を他者との関わりでコントロールしてゆくプロデューサーのようだ。1970年代、ジャズ界に二人の才女を見つけ、30年過ぎて今またこの二人を聴いている。

画像は、Escalator Over The Hillのリーフレットから。左上は表3のもの、大きめのものを貼り込んでおいた。右下は録音時のスナップから。左はJohn McLaughlin、後ろ姿はJack Bruceだろう。
 

Sunday, May 31, 2009

ちょっとは戻ったのだろうか?

直感的にピピっと来て、試しに8ヶ月ぶりでギターを弾いてみた。
昨年秋に脳梗塞と診断された直後は、左手の薬指と小指が自由に動かないことと、左右の手がシンクロできずに早いフレーズが弾けなくなっていたのだが、今現在ではそんなことはなくなっていた。
梗塞を起こした部分が蘇生したのだろうか、それともどこかでうまく繋がったりしているのだろうか。
そうは言っても暫く弾いていなかったのだから、ミスタッチが多発するのは仕方がない。
それを差し引いても、黙っていて8ヶ月でここまで回復している事にびっくりした。
このまま普通にに練習していれば殆ど以前のように弾けるようになるのは間違いないだろう。
でも、ブルースを弾いていても、昔取った杵柄が逆に邪魔をして駄目なような気がする。
ここは、一度初心に帰って、どこかのギター教室で一からジャズでも始めた方が良いのではないか。そんな気がしているが、どんなもんだろう。

photo by Toy Camera
 

Sunday, May 24, 2009

エミリア・ロマーニャに愛を込めて

"4 Emilia Romagna w/lv"と題された、この地味な体裁のCDは、2007年11月にイタリアの Musica Jazzという雑誌の付録になったAnnette Peacockの同年6月、エミリア・ロマーニャ各地でのライブ演奏を納めたもので、非売品のために一部の好事家にしか知られていないレアなソースだ。
曲目を見ると、「アルバートの愛のテーマ」や「ブラッド」等、彼女自身のお馴染みの曲を演奏したもので、シンプルにパーカッション・ドラムとのデュオである。写真からは演奏者側の様子が想像できる。音を聞く限りでは非常にインティメイトな雰囲気だったのではないか。
左手でピアノの上に設置されたシンセサイザーを弾きながら、右手でとつとつとピアノを叩くというスタイル。その音にパーカションが呼応するというコラボレーション。
何だか60年代末頃のPaul Bleyの演奏を思い出してしまった。確かAnnetteは正式な音楽教育は受けてはおらず、Gary Peacockの次にPaul Bleyと結婚してから作曲やピアノを演奏し始めたと、昔何かで読んだ記憶がある。60年代のPaul Bleyが彼女の演奏スタイルに深く影響を与えていた事は間違いないのだろうね。
機会があればこの「ブラッド」を聞いてみると良い。1972年の"I'm the One"におけるブルース演奏のそれとはまた違った、深遠な印象のある「ブラッド」だ。ECMから新しくリリースされたCDですと言われてもまったく疑わないね。

01. Albert's Love Theme (Annette Peacock)
02. This Almost Spring (Annette Peacock)
03. Nothing Ever Was, Anyway (Annette Peacock)
04. Blood (Annette Peacock)
05. Both (Annette Peacock)
06. The Succubus (Annette Peacock)
07. 1/2 Broken (Annette Peacock)

Annette Peacock: Pianoforte, Sintetizzatore, Voce
Roberto Dani: Percussioni, Batteria
Eric Morabito: Programmazione batteria elettonica (brano 6)

Registrazioni effettuate dal vivo durante il tour Progette Annette Peacock, che ha toccato Ferrara (Aterforum, 17 giugno 2007), Vignola (Jazz in'it, 22 giugno; brani 1, 2), Mondaino (L'arberto - teatro Dimora, 23 giugno, brani 3, 4, 5), Parma (teatro Due, 27 giugno; brani 6, 7) e Lugo (Lugo musica estate , 28 giugno). Tutte le composizioni, i testi le musiche e gli arrangiamenti sono di Annette Peacock, pubblicati in esclusiva da Vicious Music mcps/prs.
®©2007 Vicious Music.
Tempo totale: 40:01
Selezione discografica di Annette Peacock.
Prodotto da Annette Peacock. Coprodotto da Mauro Stocco.
Cd fuori commercio allegato a Musica Jazz n. 11/2007
 

Tuesday, April 28, 2009

PFM、デ・アンドレを歌う

イタ物と言えばやはりこのグループを無視してはいけないんだろうね。
3月にPFMの"PFM canta De André" DVD+CDを手に入れたものの、ずっとDVDを観る事ができないでいる。仕方ないからパソコンで、CDだけをBGMとして聴いた。
PFMについては殆ど私は詳しくはない。昔「友よ」をちょっと聴いた程度で、その後は当時通っていたレコード屋さんの薦めにも関わらずまったく聴かなかった。

1978年だったかな、キングレコードからヨーロピアンロックシリーズがリリースされた時の売り物は、New Trollsの「コンチェルトグロッソ」と、元PFMのMauro Paganiの「地中海の伝説」だったのだが、Paganiの方は買ったかどうかも記憶が無い。引っ越しで雑多になってしまった3,000枚のLPコレクションの中からは、全く探す気にもならないので検証もできない。
実は、PFMとPaganiが競演というか、全盛期のメンバーで行った"PFM + Pagani / Piazza Del Campo"というDVDも同時に手に入れていたのだった。これも実はまだ観る時間が取れないでいるのだ。

"canta De André"のCDを聴く限りにおいては、昔King Crimsonを演奏していたりするイタリアン・プログレシブの雄とも思えない変遷、今の姿が伺える。
De Andréというのは、当然イタリアの吟遊詩人Fabrizio De Andréのことで、1979年の"in Concerto"辺りからの関係らしい。(こいつも同時に入手済み。)
演奏はというと、非常に大人の音楽ということができるだろう。もうロックという概念でとらえる事は意味の無い事だと思い知らされた。もうずっとPFMはこの路線で行くんだろうね。
さあ、DVDを観るのが楽しみだが、やはりPFMの全盛期70年代の曲が聴けるだろう思われる"Piazza Del Campo"の方を早く観たいものだ。

どうやらここしばらくはPFM関係で占められてしまいそうだ。
 

Thursday, February 26, 2009

Pooh 40周年ツアーライブ

New Trollsに続いてPoohのライブDVDを手に入れた。
POOH - La Grande Festa Tour Estate 2006
Padova - Prato Della Valle
22 Settembre 2006
とあるのでミラノの近く、パドバ町、Prato Della Valle広場でのライブだ。
残念ながら前回のNew TrollsのConcerto Grosso Trilogy Liveのような感動は無い。あれは冒頭ヴィットリオの言葉にある「今夜のテーマはコンチェルト・グロッソです。」というように明確な意図の元に構成され、かつそれを目的とした特殊な聴取層には本当に感動を呼ぶライブだったのだ。
Poohのライブは結成40周年とは言え、ごく普通の人気バンドのライブの域を出てはいないだろう。
演奏される曲目も、「パルシファル」はPart 2のみ、「ミラノの映像」からは1曲もなし、「オペラ・プリマ」からは2曲程。殆ど私の知らない曲ばかりだった。
しかしながら、これは日本ではあり得ないと思えたのが、聴取層は老若男女偏りがない、おっさん、おばさんばかりではないのだ。老いも若きも共にPoohと一緒に歌い、手を振ってコンサートに参加している。これは素晴らしい。
このライブは2006年9月22日、この年に開催されたサッカーワールドカップに優勝したイタリア代表への応援歌もPoohは歌っていたようだった。その曲の間中会場のあちらこちらで打ち振られるイタリア国旗、これが優勝国イタリアなのだった。
このライブ映像は結成40年、正確には「ミラノの映像」リリース後に脱退したリッカルドを除けば不動の4名となったロビー、ドディ、レッド、ステファノのボーカルと類い稀なる演奏能力の確かさを、今ようやく眼で観る事ができたという喜び以外には何も無い。
もっともYouTubeを探せば本当に昔のモノクロ映像をわずかに観る事ができる。この方が時代感があり感動的ではあるのだが・・・
 

Saturday, February 14, 2009

Concerto Grosso Trilogy Live

これは大いなる感動のライブ映像だった。
注文していたNew Trollsの"Concerto Grosso Trilogy Live"がやって来た。古くからのNew Trollsファンならこの映像を観て感動しないというのはあり得ないだろう。
Concerto Grosso 1から3までの間、35年以上も経っているんだ。分裂・解散・再結成を繰り返し、オリジナルメンバーはヴィットリオとニコしかいないものの、New TrollsはやはりNew Trollsだ。相変わらずのハーモニーは健在。
冒頭1曲をおいて、2曲目"Allegro" からは"Concerto Grosso"の世界が永遠と続く。2時間たっぷりとライブの感動が味わえる。スタジオ録音のオリジナルとここが違うとか、楽器間のバランスが悪いとか、細かい事は一切気にしないで、ひたすらこの甘美な世界にのめり込んでいよう。
それにしても、2006年、2007年の2度の来日、"Concerto Grosso 3"のリリース、ライブCDの発売、そしてこのDVDの発売、もっと早く情報を得ていればと思う。特に来日公演は絶対に見逃せなかった。この数年のNew Trollsに関する突然の動きは何なのだろう?
まぁ、それでも遅まきながらライブDVDを観る事ができただけでも乾杯とすべきか。
 

Wednesday, February 11, 2009

元旦搾ということは

本日は近所の酒屋さんでこんな酒を手に入れて来たので、蟹味噌を肴に飲んでみる。
埼玉といったらやはりこの「神亀」。これは純米生酒/上槽中汲、おまけに元旦搾というからには、元旦に搾った酒なんでしょうね。蔵の行事なんだろうか。
さらにラベルに書いてある説明を読むと、圧力をかけずに自然に流れ出た酒だそうで、アルコール分が18度〜19度、結構強いですね。
瓶詰め後1ヶ月が飲み頃というから、丁度今がその時期なんだね。
通常の「神亀」純米よりもコクがあって、風味が強い酒だ。単純に言って旨いが、疲れている時には辛いかも。
「神亀」で印象的だったのは、十数年前に飲んだことのある、純米大吟醸にごり生酒、などという奴だった。今でもあるのだろうか?普通はこんなの作らないよね。
さて今夜はこの後、河豚を買って来たのでてっちりにして、しっかり「神亀」をいただきました。
 

Monday, February 9, 2009

焼酎は芋が好き

昨夜はこいつを、ショットグラスでちびりちびりとやっておった。
芋焼酎原酒「光雲天竺」初留取り。醪を蒸留する際に最初に気化し冷やされて出て来た焼酎で、当初60度のアルコール分を44度になるまで割り水しているそうな。
珍しく佐賀県の焼酎だ。あまり芋の香り、味わいはない。ただ酒としては結構強力。旨いと言えるだろう。
そう言えば私は何時から芋焼酎を飲み始めたのだろうか?割と酒のジャンルには拘らない方だが、酎ハイを中心にした焼酎ブ−ムだからって焼酎を好んで飲む方ではなかった。味のない酒だと思っていたのだ。
それがここ5・6年の事だったのだろうか、焼酎と言えば芋焼酎を好んで飲むようになった。偶々飲んでみた芋焼酎の香りが気に入ったんだと思う。言ってみれば臭い芋焼酎の方が好き、洗練された芋焼酎は香りがなくて駄目だ。この光雲天竺も洗練されており、香りが少なくて駄目なのだが、アルコール度数が高いために私にとっては飲める焼酎だと言える。ま、決して安い酒ではないので。
そう言えば最近のお気に入りは鹿児島の「黒甕」、「黒霧島」、いずれも四合瓶1本1,000円を切っている。手軽に買えるのが良い。その前は「薩摩宝山」が定番だったが、例の汚染米騒動以来買えなくなった。
ま、所詮焼酎なんて手軽に買えるもので良いよね。「光雲天竺」初留取り、こんなプレミアものは偶に飲む位で良いんだよ。

 

Sunday, February 8, 2009

昨夜の酒は七福神

某デパ地下の酒売り場にぽつんと1本だけ「七福神」を見つけた。平成15年度産酒・純米吟醸熟成酒とある。
七福神は出張が多かった30代の頃、盛岡に行くとよく飲んでいた酒だった。いつ何処でこの銘柄に初めて出会ったのかは殆ど覚えていないが、当時は盛岡に行ったら七福神だと単純に覚えていたのだろうね。仕事を終えてホテルにチェックインし、その後一人でホテルからそう遠くない小さな飲み屋のカウンターで、七福神を飲みながらカマスの塩焼きを食べたなぁとふと思い出された。実はそれがカマスを食べた最初だったんだ。
青森に行けば「田酒」、水戸に行けば「一品」、山形では「出羽桜」、新潟は「〆張鶴」。富山は「立山」。秋田は、旨い酒に出会った記憶はあるが、残念ながら銘柄を覚えていない。考えてみたら秋田って1回しか行っていないのだった。そのような酒はまだまだあるなぁ。
このように30代の頃の私の中では、酒はその土地と一体化していたものだった。その土地に行ってその土地の旨い酒を探すというのが一つの楽しみだったんだね、きっと。
いつの頃からなのだろう、その土地の米と水を使うのではなく、著名な酒造好適米をどこからか持って来て、またどこからか旨い水を持って来て酒を造るようになったのは。「十四代」がもてはやされていた頃は、あちらこちらで山田錦を使っていたような気がするが、最近はどうなの?日本にも産地呼称法があれば面白いのにね。
ここ2年程、ずっと高知の「亀泉」純米を飲んでいたが、この頃このデパートでは亀泉を仕入れなくなった。流石に最近は日本酒を飲む頻度が落ちています。

 

Saturday, January 31, 2009

永遠のフィルモアウエスト

20代の初め、アコースティックからエレクトリックに持ち替えてからの私のギターのアイドルはMike Bloomfieldだった。彼は結構な数のレコードを残したが、最高傑作はやはりこのLive at Bill Graham's Fillmore West(永遠のフィルモアウエスト)にとどめを刺す。
当時このジャケットを見て彼がプレーントップのレスポールを使っているものとばかり思っていた。しかし、数年前モンタレーポップスフェスティバルに出演するThe Electric FlagのDVDを見る限りにおいては、虎目のレスポールだったということが解った。所謂バーストだわね。
70年代前半、本物のレスポールなどお目にかかる事もできなかった。GRECOのEG-360が我らのレスポールだったのだ。アンプはまだチューブアンプの頃だから、GRECOの歪みやすいPUとアンプ直結で簡単にナチュラルオーバードライブできた。偽レスポールでもそこそこそれっぽい音が簡単に得られていたのだね。
当時大学の軽音楽部ではフェンダーのTwin Reverbが使われていた。ジャズではあまり歪まないアンプとして一般に使われていたのだろう。隣の医科大に行ってもやはりTwin Reverbだった。日曜日はそれらを持ち出してフルテンで使っていたのだ。さすがにあまり歪まないとは言ってもね。
私が今でもフェンダーのアンプを使っているのは、Mike Bloomfieldがフェンダーを使っていたからその影響でというのではなく、単に昔からフェンダーに慣れ親しんでいただけに過ぎない。残念ながら今使っているのはPrinceton 112+、チューブではない。
いつの間にか音が出なくなったままのVibro Champ銀パネはまだ保存してある。いつか修理できるのだろうか。

 

Monday, January 19, 2009

ようやく意識が

ようやく妻の意識が正常に戻ったようだった。この1ヶ月の間、彼女の意識は現実と夢の間を常に行き来していた。主治医がどんな薬を使っていたのか、私には分からない。身体が動かないばかりか、言葉も満足に話せない、そんな酷い副作用の状態からようやく生還して来たような気がする。
後は食事も満足に摂れなかったような栄養失調状態から脱して、早く戻って来て欲しい。

Keith Jarrettのケルンはジャズファンだけではなくかなり広範囲に流行った記憶がある。私は特に聴きたいとは思ってはいなかったのだが、あまりに流行っているのでついつい買ってしまった口だ。(そういえばソロコンサートまで買ってしまったなぁ。 )
Keith Jarrettは「生と死の幻想」と「残氓」が好きで好んで聴いていた。それに比してソロものはレコード買ったものの余り聴かなかった。

妻のいる病院からの帰り道、ケルンを何10年ぶりかで聴いてみた。昔聴いた頃と違って、聞き方がちょっと変わったかもしれないことに気が付いた。若かった頃は音に対して真っ正面に向き合って聴いていた。でも今は、演奏者の側に立って聴けるようになったということができそうだ。つまり自分がKeithになって演奏しているような気分で聴けるのだ。
おそらく若い頃はJBLのスタジオモニターの前で出て来る音と対峙して聴いていた訳だが、昨今はiPodや、机の前でiTunesで小音量で聴くようになったことと無関係ではないのかもしれない。
 

Tuesday, January 6, 2009

Concerto Grosso 1さえあれば

軟派な i Poohが出て来たのでは、もう一方の軟派の雄、New Trollsを出さざるを得ないでしょうね。
Concerto Grosso 1、2と聴いて来て、その後CDで買い直してからはもう全く聴かなくなっていたのだが、昨年昔のロックを聴き返すようになっていろいろ調べてみると、何と2007年にConcert Grosso 3が新しく出た事や、日本にも何度か来日していたとか、ライブのDVDが出た等という情報が出て来るわ、出て来るわ。
もうすっかり浦島太郎状態の私なのですね。

New Trollsの魅力、いやConcerto Grossoの魅力というのは、やはりオーケストラとのコラボレーション、甘美なメロディーとハーモニーと言う事ができるだろうし、日本人でこの手合いが嫌いだという奴もそうそういないと思う。

New Trollsはこの甘美な三部作以外に、Senza Orario, Senza Bandiera (1968)、New Trolls (1970)、Tempi Dispari (1974)、UT (1979)等が自分のライブラリで聴けるが、80年代以降はほぼお手上げだ。
今でもなお現役で、何枚のレコード/CDをリリースしたものやら。もっとも私にとってはConcerto Grosso 1 が聴ければあとは何もいらないのだが。
(あ、ライブのDVDはぜひとも観てみたい。)

画像はConcerto Grosso 1のジャケット内側見開き面のメンバーが写っている面。