Friday, March 25, 2011

東日本大震災と原発危機、自宅難民の日々

休暇が始まってから直ぐに今回の東日本大震災が起こったのだった。
何もせずにのんびりと休暇を過ごせたのは初めの3日間だけ。
そろそろ休暇後半に向けた旅行の企画をするために代理店にでも行こうか、と考えていた矢先に震災は勃発した訳だ。
それからの毎日は自宅で難民と化していた。
着の身着のままダウンジャケットに包まってリビングルームで寝ていた。
何時でも直ぐに飛び起きて逃げ出せるようにと考えていたからである。

あの3連発の地震が発生した時、私は必死に4段重ねのレコードキャビネットの揺れを押さえていた。いつもの地震ならそれが収まるまでほんのちょっと間で済むはずなのだが、今度ばかりは違っていた。
長い揺れの果てについには押さえ切れなくなり、私を撥ね飛ばしてキャビネットは倒壊した。
次の瞬間、これはヤバイと屋外に逃げ出したのは人生でも初めての経験であった。

数時間後戻って来て写したのがこの写真。
私の部屋には約3,000枚程のLPが投げ出されて散乱していた。
キャビネットの前に置いておいたFenderのPrincetonとR.A.T.、Gibsonの茶色いギターケース、そして素焼きの花瓶と活けておいた花などがレコードに埋もれている様子が分かる。
写真には写っていないが、この奥にある机にはiMacが倒れずに立っていたが、その側にはSE/30、Quadora700、PM8500が投げ出されていた。

私の住む市は福島原発からは約60km離れた内陸のため、津波の被害に遭った訳でもなく、強制避難させられる訳でもなく、この程度の被害で済んだ事が幸いとも言えるのだが、2週間経った今でも一向に余震と原発危機の恐怖からは逃れられない。
そうこうしている休暇も終り、いつものように会社へ通勤する毎日が始まった訳だが、この結末はいったい何処へ向かっているのだろうか。

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気仙沼に住むSが気掛かりであったが、某避難所のリストに載っていたのを見つけて若干安心した。
そのリストでは彼の家族については分からないのではあるが・・・

 

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